先日友達と子供の名付けの話になったので、今日は子供の名付けで私が気にしてたポイントとか話してみたいなと思います
もくじ
名付けをするときに考えたことは性別を強調しない名前であること
子供の名前をつける上でまず鍵になってくるのはだいたいみんな性別からなのではないでしょうか。
男らしい名前、女らしい名前、中性的な名前。
私は自分自身が中性的な名前なのもあって、名前で男女がはっきりわからない名前がいいなという希望をぼんやり抱いていました。
心の性別は生まれてみないとわからない
生まれてくる子供がトランスジェンダーである可能性もあることを考えました。
心は女の子なのに名前がゴリッゴリに勇ましく男らしい名前だったら、またその逆であっても、性別の特色が強い名前にしたら、呼ばれるたびに辛い気持ちになるかもしれないなと想像しました。
そのため、中性的な名前がいいかな、と夫に話していました。
防犯面
名付けの段階から防犯面を意識したのは、アパートなどの郵便物から居住者が女性であることを確認して狙う犯罪がある、という話を耳にしたのが理由です。
荷物の受け渡しで顔を知った上で配達伝票に記載されていた電話番号からLINEで女性に連絡したという事件もありました。
私自身は中性的な名前のおかげか、郵便物から性別を特定して女性宅を狙うといった犯罪の被害経験はありません。
それでも、通りががった友人から「家のドアの前に男の人が立ってるから外に出ない方がいいよ」と連絡をもらったり、隣人の男性に深夜にノックをされてドアを開けるよう言われたりと、女性の1人暮らしは本当にリスクがたくさんあります。
犯罪の被害者になる因子は少しでも減らしたいと考え、見るからに女の子らしい名前は避けようと思いました。
とはいえ、自分は結構男性寄りの名前で幼い頃それで辛かった思い出もあるため息子は男女比率半々、娘はまぁ女性が多めかな?くらいの名前を選びました。
名付けた名前の最後が母音の「イ」音になること
音の響きを重要視したのは私よりも夫の方かもしれません。
夫は感覚で生きているタイプなので名前の候補をとにかく口に出して呼びかけてみて「なんかちがう」「しっくりこない」と私の提案を音の響きのみで判定していました。
考えてみれば、子供の人生の前半において親は子供の名前を呼ぶ機会がもっとも多い立場なんですよね。なので、呼んだときにしっくりくるかというのは確かに重要だったな〜と思ってます。
呼ぶと自然と笑顔になる名前
感覚で判断する夫に対して、私が音の響きのなかで少し意識したのが名前の最後が母音の「イ」音で終わることです。
そうすると、名前を呼んだときに口がニッと笑った顔になるんです。
子供の名前を口にするだけで笑顔になる仕組みを作っておくのってなんかいいなと思って頭の隅に置いておきました。
名付けに使うのは日常生活で使うレベルの漢字であること
漢字は、小学校で習うレベルのものにしようと思っていました。
難しい、日常的に使わないような漢字だと宛名で漢字を間違われたりする可能性や、電話口で漢字の説明をするときになかなか伝わらないのは不便かなと思ったのが一般的な漢字を選んだ理由です。
また、画数も文字数も多い名前の友人が「テストの時に名前を書くのに時間がかかって不利」と愚痴っていたことなども参考にしました。
また、子供たちどちらも人名として違和感のない名前ではあるのですが、娘の方はあえて「パッと見てそんな風に読めない」字を選びました。(辞典にも記載されている正式な読みなので、特殊な当て読みをしたわけではありません。)
それも防犯面からです。
子供を標的にした犯罪では男児も被害に遭うのは認識しているのですが、やはり被害に遭いやすいのは女児のため「なんて読めばいいのかわからない、誤読しやすい」という名前にすることでなんらかの形で姓名の個人情報が漏れて声をかけられたとしても「本当に知り合いなら私の名前を知っているはず」と判断できるかな、という効果を期待しました。
画数
そして名付けの際の漢字といえば画数ですが、そこは全く意識しませんでした。
ふとネットのサイトで調べたりはしましたが、結果は覚えていません。。
なぜ意識しなかったのかというと、
- 画数は流派によって結果が違う
- 漢字の国だけの文化
- アルファベット表記だと無効(?)になる
という個人的観点からです。
このへんは完全に親の考え方なので、私は自分の厄年すら把握していないし、「今年厄年だよ〜」と言われても「例えばメキシコ人だったら同じ年齢で同じ性別でも厄年とかないから」と厄年文化そのものを受け入れないような人間なので重要視していないだけで、気になる人が気にすることは全く否定しません。
名付けに親の願いや想いを込めないこと
これに関しては、想いを込めないことをあえて意識しました。
生まれてくる子供が病弱でも、美しくなくても、賢くなくても、私は親で、子は子供という関係性は変わらないので「こんな子に育つように」と期待を込めたイメージをしないでありのままの子供を受け入れたいなと考えました。
私は子供の人生は子供の人生!という気持ちが強いので、その人生の表札に親の希望をぶら下げないでおこうかな、と思いました。
まとめ
我が家は夫婦ふたりとも「この名前を子供につけたい!」という思い入れのある名前を持っておらず、画数に対してもお互い無頓着だったのでイチから考えました。
私は何事も自分で決めたいタイプなので自分たちで考えましたが、神社さんやお寺さんの名付けのお世話になったり、ジジババに決めてもらう家庭もあるそうですね。
キリスト教の国だと、ゴッドファーザー、ゴッドマザーと言って友人に名前を決めてもらうパターンもあるそうですね。(名付けはしない、名付けだけではないとかまた違うという話も聞きますが)
どんな名前でも、生まれてくる子供のことを思ってつけた名前には愛情が詰まっていると思います。
ちなみに私は上記の点を意識して名付けしたため、児童館や保育園での自己紹介などのときに、名付けの由来を聞かれたときにわかりやすいほっこりエピソードが提供できず苦労しています。
小学校でその手の課題が出たときにもまた苦労しそうですね。
しかし、様々な候補やイメージなどから練りに練って考えに考えた名前なので、夫としみじみ「いい名前だよね〜」と言い合っています。