こんにちはかざりです。
今朝娘が発熱して、近所の小児科で突発性湿疹かな?という診断でした。
あと3〜4日は高熱が続くのかー夜泣きもありそうだな、と思いながら帰宅。
娘は、少し元気がないものの乳を飲んで就寝。
普段、日中は娘が寝てる時間に寝室の隣の部屋で仕事をしているのですが、どうも集中できない。自分の意識が娘の寝ている方向に向いていて、肩首あたりがビリビリ緊張している感じです。私は仕事中に音楽を流すのですが、音楽よりも遥かにボリュームの小さい娘の寝息に耳が反応しています。
「ああ、病気だから心配だよな」
と自分の身体の反応に納得しつつも既視感がありました。
この『何かあったらどうしよう。すぐ気づけるようにしておかねば』という臨戦態勢でいる気持ちは1人目である息子を日中1人でみていたときの精神状態に非常によく似ていました。
現在、6ヶ月の娘と家で過ごしながら平日は基本的に毎日仕事をしています。娘がご機嫌でよく寝る子であるからこそ出来ることだ、と思っていたのですが、理由はそれだけではなさそうです。
子供を産んですごく衝撃だったのが「コイツ、私が世話しないと簡単に死ぬんだ。私がやり方を間違えたら死ぬんだ。」という感覚でした。
人生で初めて未熟な生命体の生命維持の全責任を負わされるプレッシャーから、片時も気が抜けず何をしていても神経はそちらに向いていました。
3時間おきの授乳やオムツ換えの合間にとるわずかな睡眠でも、子供をどこかに忘れてきたり、怪我をさせてしまう、死なせてしまう夢ばかりで全く休まりませんでした。
自分がいくら「手を抜こう、楽にやろう」と思ったところで、身体は勝手に神経を赤子に全振り状態でした。
家族でお出かけしていて、息子が寝ている隙にオットと楽しくアイスを食べていたとき、息子が起きた途端食べていたアイスから味が消えて驚いたことがあります。
自分のことは後回し、なんて物理的なものではなく突然の重すぎる責任に身体も心も対応しきれずいつでも子供の異変に気づけるよう気を張っていました。
そりゃあ・・・疲れるわ。
「乳やってオムツ換えて寝かすだけなのに、1人目のときはなんであんなに疲れてたんだろう」と最近よく考えていました。
娘がご機嫌でよく寝る子だから楽、というのはもちろんなのですが息子もそう手のかかるタイプではなかった気がします。(育児の最前線では記憶はどんどん失われていくのでもはや定かではありません。)
私はかなりのズボラなので、気楽にやろう、手を抜こうと消毒もせず洗剤を分けたりもせずベビーフード頼りまくり一緒に昼寝もばんばんして、本当にかなり手を抜きまくっていたはずなのですが、無意識レベルでは常に神経を張りつめっぱなしだったのです。
そんな息子も今は3歳で、ビビリなので「目を離せば何をするかわからない!」ということもなくもうさすがにある程度は1人で放っておいても勝手に死なないだろうという安心感があります。(念のためですが外敵の入り込まない家の中とかでですよ。)
感覚として何もわからない状態で責任とプレッシャーだけ背負っていた1人目の育児では『寝てる間に突然死んだらどうしよう』と乳幼児突然死症候群(SIDS)や布団での窒息に怯えて、昼寝している合間に別室に移動することすら不安でなかなかできませんでした。
それに比べて2人目の育児が楽なのは、私が家で仕事に集中できるのは、息子の成長を経て「普通にしてたら子供はそう簡単に死なない」ということを体感できたからなんだなと思いました。
1人目の育児で疲弊している私になんと声をかけたら緊張がとれるのか、ということをフワフワ考えていたのですが、『多少のことじゃ子供は勝手に死なない』ということを体感しないとどんな言葉をかけられたところであの精神状況からは解放されなかったかもしれないな、と思ったりしました。
だからなんというか「旦那さんも家事も育児もしてくれるし、私も頑張りすぎず手抜きしてるはずなのに、なんでこんなに疲れてしまうし辛いんだろう・・・」という方とかも最初の育児はどうしても無意識に神経張りつめたりしてるから気持ちが疲れるのはしょうがないんじゃないかなと思ったりします。
未熟な赤子の生命維持の全責任を負わされて、そのプレッシャーでただでさえ少ない睡眠時間も眠りが浅く、夢も子供に何かあったとか危険にさらされる内容ばっかりで本当に心休まらなかったなー。2人目だともう『大抵は大丈夫!』ってことを知ってるから子供から自分の意識切り離せて余裕があるのかも。
— かざり@ご機嫌&筋トレ (@kazarigiri) 2018年2月9日
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